気になるけど

PC関連情報、ビジネス書、IT資格などについて書いていきます。 ただいま不定期更新中です。

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2015年の年始挨拶とスローガン

 え~皆様、あけましておめでとうございます。

 すっかりブログの更新が止まってしまったfuminchuでございます。ブログに関しては、今後fc2から脱却して独自ドメインのレンタルサーバー&WordPressで細々やっていきたいと目論んでいるのですが、時間とヤル気が起きないのが現状です。こういった、正月のまとまった休みでしか、ブログの更新をするという時間が取れないというのもありますが、そこはやはり、ヤル気の問題なんでしょうか…。

 さて、毎年元旦の恒例行事にしている、今年の目標とスローガンですが、今年の分を発表する前に、昨年(2014年)のスローガンを確認してみたいと思います。

2014年のスローガンは…

「創作と決断の年・・・2014」

という、色々な創作と様々な決断を一年通して行っていこうと意気込んでいた昨年の正月でしたが、まぁ例年のごとく、たいした創作物も作れず、ほとんど重要な決断もできませんでした。今更ながら、よくこんなスローガンにしたなと自嘲するくらい、スローガン乖離した内容ですね。

ということで、今年の目標というかスローガンは、もう少し現実に即した内容にしたいと思います。

2015年のfuminchuのスローガンは…

「5kgの減量、50冊の読書、500ページの原稿書き、5000回の沈思黙考」

これでいきたいと思います!!

2015年の「5」という数字にこだわった、実に具体的なスローガンというかTODOリストというか、目標みたいなもんですね。

 一つ一つの解説はしませんが、読んで字のごとく、やる事はある程度決まってますので、思考だけは365日止める事無きよう、過ごしていきたいです。唯一、もう一つだけ加えるとしたら、「0.5曲のオリジナルソング作成」というところでしょうか(笑)2014年にPCで音楽を作成するための、DTM環境を整えたのにも関わらず、ほとんど触ることができなかったことから、少しでも音楽作成の時間を取りたいなと、希望的観測な感じです…。

 あと、2014年に「決断」をテーマにしていたことが、まるで実践できなかったので、ここにもう一度こだわっていきたいと考えています。そうそう、それと2015年は、自宅の書籍の電子書籍化も進めようと計画していますし、DTM兼PC机の新調も考えています。毎年毎年、やりたいことや、決めたいことだらけで困ってしまいますが、日々笑顔を絶やさず、明るく朗らかに過ごしてまいりたいと思いますので、本年もよろしくお願いいたします。

 今年もネットの端っこでコソっと更新する予定の、このブログを生暖かく見守っていただければ幸いでございます。

fuminchu
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2014年の年始挨拶とスローガン

 皆様、あけましておめでとうございます。今年もネットの端っこでコソっと更新しているこのブログを、暖かく見守っていただければ幸いでございます。

 さて私はというと、居住地の北海道を遠く離れ、広島県は宮島の近くにおります。生まれてこの方、正月を地元北海道以外で過ごしたことがなかったので、厳島神社で元旦のお参りをしたい!という願望から実現したこの正月旅行。存分に楽しませていただいております。この後は念願だった日本三景の一つ、厳島神社を堪能してまいります!楽しみです!!

 それはさておき、毎年元旦の恒例行事となってきました、今年の目標とスローガンを発表してみようかと思いますが、その前に昨年(2013年)のスローガンはというと・・・

「クリエイティブ×12ヶ月+体重×0.9=2013年」


という、何やら不思議な公式を導いて、クリエイティブとダイエットの年にする!という意気込みだったわけですけども、残念ながらいつものように、虚しくスローガンをぶち上げただけという結果に終わったのは、前回の記事で書きました・・・。

 まあ、一種の自己啓発的なものと捉えていますので、結果が出ていないのは仕方がないですけども、もう少し何とかならないものかと、忸怩たる想いはあります。

 そこで、今年の目標というかスローガンは…

「創作と決断の年・・・2014」


という、どこかのTVタイトルでついていそうなものを選択しました!

 2014年は自身の創作物にこだわります。いくつかやるべきミッションがあるため、日々コツコツを信条に、創造性を発揮していきたいものですね。なるべくタスクを細かく分けて、実践していきたいです。

 それと、2014年は幾つかの大きな決断をする時期だと考えています。これらは今後の人生に大きく関わる問題でもありますし、かれこれ数十年もの間悩み続けてきたものも存在します。いつも通りに、詳しくは書けませんけども、今年は「決断」するべき時かと考えています。もちろん、全て後ろ向きな内容ではないのですが、失敗すると後戻りしにくい大きな「決断」も存在します。これまで散々悩んできたものから、大きな希望を抱くものまで、己の決断力が試されますね。

 まあ後は、ライフワークの読書、筋トレを継続し、カロリー摂取のコントロールを意識して、体重の減少を目指していきたいです。それと、今年はもう少し、映画や漫画を見る機会を増やしていこうかと考えています。毎年やる事だらけで首が回らない感がありますけど、日々楽しく、笑顔を絶やさず前向きに行動していきたく存じますので、本年もよろしくお願いいたします。

fuminchu
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| 自己啓発 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自分にとっての2013年とは?

 毎年年末に、1年間の自分の行動とか、年初に立てた目標の成果とか、何がうまくいったのか、いかなかったのかということを振り返っている私ですが、今年は色んなことがありました・・・。

残念ながら、2013年のスローガンである、

「クリエイティブ×12ヶ月+体重×0.9=2013年」


の中の、体重10%減という目標は達成することができませんでした・・・。2012年の12月末から体重が変わっておらず、お前一年間何をしていたんだ??と疑問符がつきます…。

 ところが、体重は変わらないのに、一つだけ減ったものがあります。それは…ウエストの脂肪です。ズボンのサイズが落ちました。ベルトの穴が一つか二つくらい狭まりました。つまり多少メタボが改善しました。

 どうしてそんな事になったかと言うと、ひたすら腹筋をしたからです。3月に書いた下記エントリーで、2013年中に「腹筋1万回」「スクワット5千回」を目指すことをほのめかしていましたが、結構頑張りました!

筋トレ続いています
by kininarukedo

 実際のところは「腹筋8千回」「スクワット3千回」と、割引な数字で終わってしまいましたが、実行したのは確かです。これが腹の脂肪を多少なりとも燃やしてくれたのだと思います。

 どうしても4月~7月の花粉時期にアレルギー喘息が発症するので、運動自体が制限されてしまいます。この間のインターバル期間がもったいないですね…。まあ仕方ないのですけど。。。

 クリエイティブ方面では幾つか成果を出したので、多少の満足感はあります。以下でも書きますが、HP作成やビデオクリップの作成などを行いました。ただ12ヶ月クリエイティブな生活はできませんでした・・・。

 2013年に一番印象深いのは、息子のサッカークラブチームに大きく関わったことです。クラブの会計をしたり、クラブのHPを作成したり、トラブルや揉め事を仲裁したりと、大変でしたが、息子達のサッカーを通した成長が感じられ、とても良かったと今は言えます。来年も引き続き関わっていきたいと思います。

 また、二十数年ぶりの高校学年同期会で、幹事をやったのもいい経験になりました。100名規模のイベントに関わることなんてなかなか無いので、貴重な機会を得たと思います。久しぶりに会った友人達とも新たにFacebookでつながり、古いんだけども新しい友人関係を築けました。同期会の中で15分間のビデオを作成したのも、自分の新たなスキル向上につながったと思います。

 他には結婚10周年で豪勢な料理に舌鼓を打ったり、大量に漫画を仕入れたり、iPhoneやiPadminiを新調したり、飼い猫にモフモフしまくったりと、それなりに楽しいことがありました。悪い年じゃなかったなと思います。

 しかし残念ながら、トラブルも多かった年でもありました。感情のもつれから、人間関係ってこんなに簡単に壊れるんだと、私は直接の当事者ではありませんでしたが、いくつかケンカを仲裁したり、人事的な処遇を判断したりと、心苦しい出来事が数件ありました。

 人は皆違う考えをもっているんだということを理解していなければ、争いごとなんて無くならないです。相手のことを尊重できず、横柄な態度をとっていれば、相手に好かれるわけもないです。

 私自身も、腹を立てることが少なくなかったこの一年は、今振り返ると、とてもいい薬になったと自覚しています。自分がどういう時に感情的になるのか、どんなシチュエーションが嫌いなのか、心のマネジメントが実践できたと思えば貴重な体験をしたとも言えます。

 せめて2014年は、怒りとか哀しい感情を感じることが少ない1年であってほしいものです。前向きなところが自分の良い部分なので、後ろをたまに振り返りつつ、前傾姿勢で1年間邁進していたいです。年明けのエントリーでも書きますが、2014年はいくつかの大きな決断を伴いそうなので、これまで以上に、選択の難しさを味わいそうです。また、知的創造物にも力を入れていきたいので、来る新年が待ち遠しい限りです!

 ということで、このネットの隅っこで細々と更新しているブログを、来年もよろしくお願いいたします。

fuminchu
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自縛しているものを洗いだす

2013年のGWも終わり、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 私の住む北海道道央圏では、GW中ずーっと天気が悪くて、かつ寒く、とても行楽する気にはなれない状況でした。外に出ない=室内にいることが多かったため、自然と本を読む機会が増えた…のなら良かったのですが(苦笑)

 実際のところは、マンガばかり読んでいました。久々に「横山光輝 三国志 全60巻」を読破して悦に浸っておりましたが、もう一つ読破したマンガがあります。

 それは「低俗霊DAYDREAM 全10巻」です。ホラー漫画というジャンルになるのでしょうかね?あるいはエロオカルト?

低俗霊DAYDREAM
by wikipedia

 2007年くらいまで月刊少年エースにて連載されていた漫画ですが、詳しい内容は色々とアレなもので、上記リンク先(wikipedia)からご確認ください。正直申しまして、めちゃくちゃ面白かったです。以前から読みたい漫画リストに掲載してあったのですが、もっと早く読んでおけばよかったと後悔。ただ、子どもにはお奨めできない内容(エロ・グロ・恐怖)が多く、大きなお友達限定とします(笑)

 で、このマンガ「低俗霊」と名がついているように、幽霊とかガンガン出てきます。主人公のみさきが霊や霊を操るミオという敵と対峙していくストーリーなのですが、ちょっとばかり霊感がある私は、背筋をゾクゾクさせながら一気に読破してしまいました。面白い映画を見た後は何とも言えない高揚感が漂いますが、このマンガはまさにそういった感覚を読後に味あわせてくれます。

 そういった高揚感を味わいながら、ストーリーを噛みしめていたところ、ふと心に引っかかるものがありました。それは、出てくる幽霊がみな、何らかの強い想いに捉われ、死んだその場所から動けないという、地縛霊を題材にしたものが多かったことです。

ちなみに地縛霊とは…

地縛霊(じばくれい)とは、自分が死んだことを受け入れられなかったり、自分が死んだことを理解できなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから離れずにいるとされる霊のこと[1]。あるいは、その土地に特別な理由を有して宿っているとされる死霊
by wikipedia


とまあ、恐ろしい記述が書かれておりますけども、これって地縛=地に縛られているのに、私は「自縛霊」という漢字で勘違いしてしまい、「自縄自縛(じじょうじばく)」という四文字熟語を連想してしまいました。

自縄自縛とは、自分の縄で自分を縛ること。自分自身の心がけや行動によって、動きがとれなくなり、苦しむことのたとえ。
by 四字熟語データバンク


 この辺りから私の「自己啓発スイッチ」がONとなり、最近自分の言動が後ろ向きなことが多く、どうにも閉塞感漂うような気分の晴れない悶々とした日々を過ごしているなと、回想し始めます…。

 仕事やプライベートも含め、色々とうまくいかないことがあり、無理矢理に自身の行動に制限(枷)をかけてしまったり、つい投げやりな気持ちになったり、後ろ向きな気持ちを強制的に前向きに仕向けたりと、自分の想いに囚われて苦しんでいたことに気付きました。

 文字通り、自分で放った言葉の縄や、心の声の縄で己を強く縛ってしまい、見動きが取れなくなっていたことに気がつくことができたのです。するとなぜか、心のモヤが晴れ、雲間から日の光が差してくるかのように、明るい気持ちになっていきました!

 こういう自分の心の動きを客観的に見つめ、改善するべき点が腑に落ちると、不思議とそれを改善しようという前向きな感情が湧くところが自分の良いところなのかもしれません。また、「己の心の動きを定期的に客観視して振り返る」ということの重要性に改めて気づきを得たことも大きかったです。

 よもや、初めて読んだ漫画に感銘を受け、勘違いから思考が膨らみ、自分の心の迷いを断つことができるなんて、夢にも思いませんでした!そんな自分が嫌いじゃないです(笑)

 そんなこんなで、2013年のGWは得るものが大きかったということを、つらつらと書いてみましたけど、皆様も自分を縛りつけている言葉や行動が必ずあるはずです。よくあるのが「私は○○な人間だから…」とか「自分は○○な性格だから…」的な、型ハメ的言動です。こういう「型=言葉の縄」に自分をハメる(縛る)と、本当にそのような行動しか出来なくなるので、ぜひとも縄を解き、自由に動かせる喜びを感じて欲しいと思います。
※ドMな人は縛られているのがいいのかもしれませんけど…

 久々に開放感漂う感覚になりましたので、夏に向けて元気に活動して参りたいと思います。

 ちなみに「低俗霊DAYDREAM」は本当に面白かったので、ホラーやエロ系が大丈夫な方には強くお奨めしたいと思います。
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| 自己啓発 | 19:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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筋トレ続いています

 このブログで、年頭に掲げた今年のスローガンでもある、

「クリエイティブ×12ヶ月+体重×0.9=2013年」


という方程式のような目標ですが、2013年も2ヶ月を経過し、おかげ様で順調に推移しております。

2013年の年始挨拶
by 気になるけど

 上記の「体重×0.9」という式には、体重10%減とか、メタボ解消とか、糖尿予防とか、体質改善など、おもに健康面を重視した年にしようという狙いがありまして、きっかけになったのは、2012年秋の健康診断でした。

 これまでの最高体重を計測して臨んだ人間ドックは惨憺たるもので(苦笑)、正式にメタボ認定、高脂血症傾向、糖尿病リーチなどなど、聞きたくもない単語ばかり並べられ、さすがに重い腰をあげざるを得なかったという、切実な理由がありました…。

 そもそも、スーツのズボンのウエストがきつくなってたのは分かっていたにも関わらず、生来の怠けグセが抜けず、デブになるのを放置していた自分が悪いので、これまでの悪癖を矯正するためにも、筋トレや、体幹トレーニングを自らに課し、元旦から勤しんでまいりました。

 何か年間の目標があった方がいいということで、2013年中に「腹筋1万回」「スクワット5千回」という数値を決め、1月~2月の間に「癖つけ」をいたしました。おかげ様で、腹筋だけでも2500回を超え、ウエストが数センチ細くなったのを確認できています。

 体重自体は2kgくらいしか変わらないのですが、体脂肪計で計測すると、内臓脂肪の値が相当落ちてきているため、筋トレの成果を肌で感じています!

 また、食事にも気を使いながら、自宅内で子供とサッカーの練習をしたりと、体を動かすことにも重きを置いてきたのが奏功したのかもしれません。

 このまま2013年を筋トレで埋めていくと、自ずと「体重×0.9」の値も夢ではないかなと手ごたえを感じ始めています。まだ2カ月しか続けていないので、次は半年後の成果に夢を馳せながら、楽しく続けていきたいものですね。

 筋トレなどの運動をしていると、不思議と頭が冴えるので、クリエイティブ方面でも成果が出れば嬉しいのですが、なかなか二兎を得るのは難しい面もあります…。己の可能性を広げながら、命尽きるまで、何か新しいものを作り出せる人間を目指しているので、残り10カ月もギアをTOPに入れて邁進していきます!
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| 自己啓発 | 00:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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常識にとらわれるな

 本日は2月14日のバレンタインデーということもあり、バレンタイン関連の情報に絡めた話しを書いていきますので、よろしければお付き合いください。

 先日、嫁さんが職場のバレンタイン用チョコを買うということで、隣町のイオンに買い物に出かけました。大型スーパーらしく、イベントスペースでもある広場を貸し切ってバレンタイン商品を並べており、店側も力が入っている感がありあり。おまけに会場はもの凄い人であふれ、レジも長蛇の列を成しておりました。販売している商品も、有名な「ゴディバ」などのブランドチョコや、先日食べログのスイーツ部門で1位に輝いた札幌の「ショコラティエ マサール」など、話題のチョコが整然と並べられていました、他にも、お酒や小物なども販売していて、バレンタインデーも多様化の一途をたどってるなと、ボンヤリ眺めておりました。

 視線を左右に振り、何か物珍しいものはないかと物色していると、奇妙なポスターが目にとまります。

「孫に贈るバレンタイン」

お爺ちゃんお婆ちゃんから、お孫さんに贈り物をしようという企画のようで、柔和な老夫婦が描かれたポスターの下には、孫の年代の子供達が喜びそうなおもちゃであるとか、それ系のお菓子などが山積みになっていました。しかも、どうやらその逆のパターンも想定しているようで、お歳を召した方用の贈答品なども陳列されている始末。それを見た瞬間「これバレンタインとは関係ないしおかしくない?」という疑問が私の頭をもたげました。

 バレンタインの定義は正直よくわかりませんけど、日本では女性から男性へチョコを贈るという風習となっていて、そこに愛情があろうが無かろうが、女性は贈り物をするというのが習わしになっていると、自分では捉えています。

バレンタインデー
by wikipedia

 でも、国によっては男性から女性に贈るということになっていたり、バレンタインを祝うと逮捕される国もあるようですし、爺ちゃん婆ちゃんから愛する孫に贈っても別におかしくないよな~と考えると、まるで否定的な意見を打ち消すかのように、妙にスッキリした気分になってしまいました(苦笑)

 むしろ、最近のバレンタインは一種の恋愛イベント的な要素を越え、さらに多様化し、シニア層をターゲットにしたものや、ペットへ贈るバレンタインと称した動物好きの方に向けたアプローチなど、商魂たくましいというより、よく考えるよな~と、その企画力に脱帽してしまいます。

 日本での、バレンタインデーにはチョコを、という風習は、もともと菓子業界が販売拡大を目指して仕掛けたものらしいですけど、そこに歴史的かつ文化的な意味合いなんてありませんよね。したたかな販売戦略があるだけで、そこに民衆がおおいに乗っかってしまったというのが正解かと。でも、チョコを渡す際の悲喜こもごもが、個々の感情を揺らすこともあり、これだけ定着したのだろうと勝手に分析しています。

 私などは、まさにそのチョコをもらえる・もらえないという、学生時代のドキドキ感が心にこびりついているので、「孫に贈るバレンタイン」なんて変だ!という、チンケな思い込みが招いた愚かな勘違いと言えるでしょう…。

 そして、そんな私の頭の中にふと浮かんできたのは…

「常識にとらわれるな」

という心の声でした。

 いかに自分の頭の中が、凝り固まって作られた「常識」という名の「勘違い」に捉われているか、これまで何度も何度も同じようなことを繰り返して情けなくなりますが、あらためて「自分の中での常識は他では通用しない」と痛感しました…。

 ここしばらく、自分の中の常識を疑うような出来事があまりなかったので、久しぶりに自己嫌悪モードになりましたが、いやはや情けない…。と言いますのも、これまで多くの自己啓発書やらビジネス書やらを読んできて、そういった自分の中の思いこみをあぶり出すという自己ワークを行ってきたからでありまして、自分は柔軟な思考の持ち主だくらいの、勘違いをしていたフシがあります…。

 自分にとって「不快」「不愉快」な出来事を、「こんなのダメだ!」とか「絶対におかしい!」と憤るよりも、「なぜそうなったのか?」「どうして自分はこんなに嫌な気分なのか?」という質問を自分に投げかけることにより、冷静さを保ちながら分析することが可能となります。以前はこのようなことを意識しながら日々過ごしていたので、だいぶ自分の中の「常識」とかを崩すことが出来たつもりでいましたが…まだまだ甘いですね。甘いのはチョコだけで充分です

 ということで、またしばらくの間、自分の中の常識を疑うキャンペーンを、一人で開催したいと思います(笑)

 また、それだけでなく、常識だと思っていたことをリスト化して、「どうしてそれを常識と思っていたのか?」「新たな示唆はどういうことか?」といった自分への質問も加えて、何かのヒントに出来ないか、ワークを進めてみたいと存じます。

 以前このブログで、

不常識と常識と非常識
by 気になるけど

というエントリーを書きましたが、この中で故本田宗一郎さんの言葉「常識の枠の中で物事を判断して行動していくと、大きな発明・発展には繋がらない。やはり、常識を越えた非常識な発想で常に経営をしていかないとダメだ」という言が胸に刺さります。

 願わくば、非常識な思考をもって、この先の人生を進んでいきたいものですね。
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改善すべき優先事項は「集中力」にあり

 久しぶりのブログ更新ですが、今回は「集中力」について書いてみたいと思いますので、よろしければお付き合いください。

 さて、北海道における2012年の夏は、恐らく関東などと比べても引けを取らないくらい暑さが厳しく、同時に湿度も高かったこともあり、ただでさえ暑がりで汗っかきな私にしてみれば、本当に苦しい日々が続きました。

 何か作業をしようとしても、自然とボーっとしてしまうことが多く、意識が前に進まずに、必然的に何もしない時間が増えていました。仕事の時は明確な期限があったり、周囲の監視の目もあるので、何とかこなしているという有り様でしたけど、その分プライベートでグッタリとしていることが多かったです…。

 あまりにも暑かったので、もう頭を使うような作業は止めにして本でも読もうと、この夏は30冊くらい溜まっていた本を集中的に読破いたしました。そしてその読んだ本の中に、将棋の十九世名人である羽生善治さんの「大局観」がありました。

◎大局観


 その中で、集中力に関する項があり、感銘をうけたので以下に抜粋いたします。

・集中力をつける3つのトレーニング方法(P66~)

第一の方法は、何も考えない時間を持つことだ。
何もしないでボーッとしていることが、ものごとに集中するうえで非常に大事なことだと思っているので、意識してそういう時間を作るようにしている。

第二の方法は、一つのことをじっくり考えることに慣れることだ。
人は慣れたことをする時はそれほど疲労を感じないが、慣れないことをすると疲れやすいという習性がある。
自分にとって不慣れなテーマを選んで、それについて掘り下げて考え、それに慣れたと思ったらやめて、次のテーマを探すようにするのがよいと思う。

第三の方法は、時間と手間がかかることに取り組むことだ。
たとえば長編小説をよむことだ。


 将棋のプロの方が提唱する「集中力トレーニング法」ということで、それまで集中力を切らしまくっていた私には、まさに天恵ともいえるような、素晴らしいタイミングでこの本に出会ったなと、本の素晴らしさに感謝をしつつ、自分に今足りないものが「集中力」であることを、腹の底から思い知らされました。

 「よし、これはぜひともやってみよう!」と勇んで羽生さんの提唱する方法を実行してみましたので以下に記します・・・。

 第一の方法である、「何も考えない時間を持つ」というのは、ただボーっとしていただけではダメなようで、何も考えないというのは、また別の努力が必要だということに気付き断念しました。私は雑念が多すぎるのでしょうかね…。

 第二の方法である「一つのことをじっくり考えることに慣れる」というのを、今自分の中でアレコレ悩んでいるものの中から一つ抜粋し、深く深く掘り下げるように考えてみましたが、考えれば考えるほど、頭の中にいくつも他の事が浮かんでしまい、やはりこれも別の修行が必要ということで断念…。

 第三の方法の「長編小説を読むこと」は、案外普段からやっていることなので、さほど苦も無く進められるのですが、今すぐに集中力を高めることに期待しているのに、これでは埒があかないと、その場で断念…。

 結局は自分が求めているものが、「即効性がある集中力ノウハウ」だということに気づくのでした(苦笑)

もちろん羽生さんのトレーニング方法については、今後少しずつ生活の中に取り入れていきたいとは思っておりますけど・・・。

 そうした中で、集中力を持続させるようなライフハック的なものはないかと、ネットを漁ったところ、やっぱり多くの人が悩むテーマなのでしょうか、次々にヒットしました。その中でもやってみてこれは良さそうというのを紹介します。

ここぞ!というときにぐっと集中力を高めるためのすっごく簡単な方法
by IDEA*IDEA

 百式の田口さんのブログで紹介していた、白紙を横に置いておき、雑念が浮かんだらすぐメモするというのは、私もやってみて、これはいけるかもと感じています。人間の脳は、常に多方面であらゆることを思い浮かべる性質があり、集中しなければいけないこと以外のことが次々と頭に浮かんでくるものです。

 これはもう別な訓練を施して、放射的に現れる思考をコントロールしていくか、そういうものなのだとあきらめつつ工夫するしか対処法がないと思います。IDEA*IDEAで紹介していた方法は後者の方で、とにかく雑念が浮かぶんだから、浮かんだら片っ端から白紙に殴り書きして、そのうち思い浮かばなくなったらラッキーだよね、という軽い感じのものであり、即効性と安楽さを求めていた私にはピンとくるものがありました。

 そしてもう一つ、NHKで放送している「ためしてガッテン」の2007年08月29日放送した回がタメになりました。

脳もビックリ! 集中力アップ大作戦
by ためしてガッテン

内容をまとめると以下のようになります。

・自分に関係する情報の遮断、音で音を制御するなど、環境の構築が大事

・やろうとしていることを小刻みな目標に書き換える、自分のやる気を高める言葉「集中ワード」を書くなど、工夫をこらす


 結局は「脳を余計なことで働かせないことに注力すべし」というところが肝のようで、一つのことに集中できるように導線を描くという感じでしょうか。

 実際に私も、静かな音楽を流しながら作業すると集中できることがあるので、そういった効果はあると思います。小刻みな目標というのは事前に「作業の細分化」が必要なわけで、ここは盲点だったかもしれません。集中ワードに関しては、願望や欲望を紙に書いておき、普段から眺めるというやり方を以前にもやったことあるのですけど、私の場合は欲が無さすぎる?のか「アメ」にはなりませんでした…。

 またサイト中では、集中するための自分なりの儀式的なものにも触れていました。

・集中する前は…
自分が興味や関心のあるものは、身近に置かない。好きな音楽を聞いたり、深呼吸をするなど、リラックスして「集中エネルギー」を高める。集中ワードを口にしたり、あるいは自分が集中できた時の直前にやっていたこと(コーヒーを飲む、入浴する、など)をするなど、「集中儀式」によって、脳の集中スイッチをオンに!


 私は集中する前に、儀式的なものをとりいれたことがないので、イチローがバッターボックスの中で行う動作のように、ゴルフで言うプリショットルーティン的なものを、自分の中で確立したいものです。

 他にもiPhoneやiPad2による、タイマーアプリを使っての集中力向上策なども、実際にやってみて使えそうだと感じました。

集中タイマー
by itunes

30/30
by itunes

 タイマーを使うと時間に追われているようで逆に経過時間が気になりますけど、実は時間が気になってる時点で集中とはかけ離れてますので(笑)慣れが必要ですね…。

 また、今後集中力をつけていくために活用していきたいのは、瞑想を取り入れることです。瞑想については、自分の言葉で語れるほどたいしたことしてないので、参考に読んでる本を紹介するに留めます。

◎始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ


 瞑想については、自分ひとりで実践するよりも、そういった講習などに行くのが身につける早道だと思っていますが、なかなか機会がありません・・・。

 とにもかくにも、自分に足りないものは「集中力」だというのが腑に落ちただけでも儲けモノなので、2012年後半の重要テーマとして、気にかけていきたいと考えています。

 あと、集中力をコントロールする妨げになるものは、ストレスとか栄養不足とか睡眠不足らしいので、その辺も意識しながら集中力UPに勤しんでまいりたいですね。

 最後の方は駆け足での紹介になってしまいましたが、私は明確な目標ができると俄然やる気がでる方なので(単純)、集中力を高める努力をしつつ、ようやく涼しくなった秋の夜長を、有効に活用していきたいものです。

 集中力を自在に操ってみたいものだな~。
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| 自己啓発 | 22:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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その恐怖は本当に怖いのか?

久しぶりのブログ更新ですが、いきなり恐怖体験から入りますので、怖い話が嫌いな人は読み飛ばしてください。

 それは先週のことでした。週末を利用し、家の周りの草むしり作業を行なった私は、普段体を動かさないこともあり、相当疲れたのか、その夜は10時間以上熟睡してしまいました。おかげで次の日は夜中になっても目がランランとしていて、これは夜更かしパターンだなと、ある種の覚悟を決めていました。次の日は仕事だったので、早く寝ようかとも思いましたが、あまりにも眠くなく、目はさえるばかり。仕方がないので、PCのディスプレイを眺めつつ、お気に入りのビジネス書を読んだりして、一人の時間を満喫しておりました。

 まるで時間を忘れたかのように、本の内容に集中していた私は、すっかり時間の概念が抜け落ち、文章の世界に没頭しておりました。

 読んでいた書籍が終盤に差し掛かった頃、まったく不意に、何の前触れも無く、突然異変が起こります。

「な~んま~いだぁぁぁ~~~~~~・・・・・・・・・」

 耳元で響く、地の底から死霊が這い出してきたような、この世のものとは思えないくらい、低く気持ち悪い声がはっきりと聞こえてきました!しかも聞こえてきたのは本当にすぐそば。室内か窓のすぐ外という距離感!!

 一瞬耳を疑いましたが、もちろん部屋の中には誰もおらず、家族も寝室で寝静まっているし、窓も閉めていたのでそんな声が聞こえるはずもなく、正直オドオドしていました。ふと壁にかかっている時計に目をやると、午前2時ぴったり。丑三つ時(うしみつどき)の声ということで、途端に恐怖が私の全身を覆い、急いで家族のいる寝床へ駆け込みました(笑)

 私はどちらかというと、スピリチュアルな体験をしてきた方なので、「これはやばい!」という危機意識が働いたのでしょうか。ビビッている私は布団をかぶり、ドキドキしながら早く眠ろうと、気ばかり焦りましたが、緊張していたのと眠気が少なかったこともあり、そう簡単に眠れるわけもなく、不安溢れる長い一夜を明かしましたとさ…。



 とまあ、先日発生した恐怖体験を書いてみましたけど、あまり怖くなかったかもしれませんね。気持ち悪い声を聞いた身としては、もう身の毛がよだつ思いでした。鳥肌が全身に発生するような感覚、思いだしただけでも嫌な気持ちになります。

 翌日朝食時に、家族にこの話をしたところ、寝ぼけていたのだろうとか、夢見たのだろうとか、実は子どもの寝言が聞こえたのでは?とか、散々否定されましたけど、実際に声を聞いた私にしてみれば、「そこまで言うならば同じ思いしてみろよ!」と、文句の一つもつけてやりたくなりました。

 さて、なぜ冒頭にこのような怪談話を繰り広げたかというと…

人の恐怖には根拠がない

ということを語りたかったからです(苦笑)

 真っ暗な墓場を一人で歩くのとかって、怖いですよね。でもなぜ怖いかというと、幽霊が見えるかもしれないとか、心霊体験をするかもしれないなどと、起こってもいないことに怯えているからだと思いませんか?

 いやいや、実際にお化けを見たんだ!とか、本当に声を聞いたんだとか、それこそ恐ろしい目に遭ったことのある人も多いかもしれません。実際私もこの世のものとは思えない声を聞いてしまったので、恐怖体験をしたと明確に言えます。

 でもですよ、でもですね、じゃあ突然恐ろしい声が聞こえたからといって、それこそ死を身近に感じてしまうくらい、生死に関わる鬼気迫るような状況だったかと言われると、違いますよね。

「ただ、恐ろしい声が耳元で聞こえた」というだけなのです。それ以上でもそれ以下でもないです。おっかないですけど。

 冷静に考えれば、「だからどうしたんだよ?気のせいじゃないの?」と、ビビリの自分に疑問を投げかけたくなります・・・。人間の声じゃないものを聞いて、魂でも吸い取られるのが明白ならば、それはもう、おしっこチビりそうなくらい怖いでしょうけど(すぐそこに死が迫ってますし)、その後は結局何も起きていないのだから、怖がり損ですよね。

 じゃあ何故あれほど、私は恐怖を感じたのでしょうか?

 一つには、未知のものへの恐怖です。正体が知れない人知の及ばない存在だと心が認識してしまったが故に、途端に悪寒がはしるような、背中に刺すような冷たい視線を感じるような気分になってしまったのかと。

 二つ目は、これまで体験してきたスピリチュアル的な恐怖を想起させてしまうからです。それは、はっきりと意識がある中で、この世のものではないものを見てしまった・聞いてしまったことがあるからなのですが、その時の恐怖が体に染みついているから恐ろしいのだと、自分なりに分析しています。

 そう実は、過去の体験や、そういった知識、または無知が、恐怖を呼び起こしている原因でもあるのです。よくよく考えてみると、その恐怖には根拠が乏しいことが多いのです。まあ、実際に声を聞いてしまった私としては、なかなか「そんなの気のせいだろう」という気持ちにはなれませんが…。

 後で冷静になって考えると、あれほど怖がることもなかったのではないか?と、いたたまれない気持ちになりますが、程度の軽重はあるにせよ、誰にでもそういった「恐れ」はあると思います。幼い頃は、補助輪の無い自転車に乗ることに恐怖を感じましたが、乗れるようになった途端、恐怖感なんてどこかに吹っ飛びましたよね。

 うちの嫁さんなどは、高い橋の上を車で走るだけで、怖くて叫んでしまったりするのですが、これなどは「よくわからない恐怖」が原因と思われます。「落ちたら死ぬかもしれない」という意識が、恐怖を感じさせているのだと思います。実際に過去に橋から落ちたこともなければ、高いところから落ちた経験も無いようなので、これは心が作り出した根拠の無い「怖い」という感情を発露した例と言えましょう。

 そういった事例は枚挙にいとまがありません。皆さん何かしらの根拠の無い恐怖心を持っているはずですし、私もたくさん根拠の無い恐怖を感じる対象があります。

 でも恐怖の根源を突き詰めて考えてみると、いかに恐怖というものが人の心を縛り、本当は簡単に出来ることを難しく遠ざけているのかがわかってくるのではないでしょうか。

 もちろん、恐怖という感情が、大事だということも理解しています。バイクで200kmのスピードを出しながら、手放し運転でヘラヘラしていられる人がいたとして、実際に転んだら命が失われる可能性が限りなく高いのですから、恐怖を感じて然るべきですよね。命を守るための、重要な感情の一つと言えます。

 しかし、実は何でもないことに怖れをなし、一歩も動けなくなってしまうことが世の中とても多くないでしょうか。自分のことを思い返しただけでも恥かしくなるくらいたくさん事例があります・・・。

 そういった根拠のない恐怖が、いかに人の心をがんじがらめに縛っているか、認識できていない人が本当に多いです。もちろん私を含めてですが。私も自分が「ビビリ」だということは認識できていますが、これまで「恐怖」に対して深く考えたことがなかったので、多くの機会損失をしてきたと感じています。

 意味のない恐怖、根拠のない恐怖、起きてもいない恐怖、勘違いの恐怖、どれもこれも人の成長を妨げる、忌むべき感情といえます。

 このことに気づかされた私がとった行動は、恐怖を感じた後に、「どうして今怖いのだろうか?」と自分に質問を投げかけることです。どういう理由で怖いのか?本当にそれは怖いのか?紙に書いて突きつめて考えていくと、大抵の場合は、根拠がない恐怖でしかありません。もちろん根拠がある場合もありますけど…。

 「恐れるな」ということではなく、「本当にその恐怖は怖いのか?」と自問自答した方がよいということです。ひょっとしたら、その恐怖感はくだらない思い込みからくる、まがいものなのかもしれないです。ひょっとしたらその「恐れ」は、ただの勘違いかもしれないのです。

 一度自分が感じた「恐怖」の対象を思い返し、なぜ怖かったのか、どうして恐れを抱いたのか、詳しく分析してみると、本当にその恐怖が怖いのかどうかが明らかになるのではないでしょうか。

 恐怖の感情を抱くと、人間は殻にこもってしまったり、後ろ向きの感情に支配されたり、一歩前に進むことを躊躇してしまいます。発展や向上という可能性を阻害してしまうのが、「恐怖心」のやっかいなところでもあります。

 私は何度も言うように「ビビリ屋」なので、多くの根拠のない恐怖に怯えていますけど、少しでも恐れる感情を克服していくのが、前に一歩進みやすくなる秘訣なのかなと、最近よく思います。

 「恐れ」を振り払うと、それは「勇気」になり、「希望」が湧いてきます。

 今は些細な「恐れ」でも、その種子が成長し、人の心を蝕む「大きな恐れ」になることもありますから、早めに払拭できるに越したことはありません。恐れない心を持つことが理想ですけど、そんなことできるわけもないので、心の片隅に、

「その恐怖は本当に怖いのか?」

という問いかけが住み着いていれば、改善しやすいと考えています。

 これまで「恐怖」ということに意識が向かなかった人がいれば、まずは「人の恐怖には根拠がない」ということを、自分自身で認めるところから、はじめてみるといいのではないでしょうか?

 何回も書きますが、私は本当に「ビビリ」なので、少しでも根拠の無い「恐れ」を払拭できればいいと考えています。願わくば、心霊的な恐怖体験はもう二度とご免なのですけどね~。1年に何度か嫌な経験してしまうので、なんともはや…。
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| 自己啓発 | 20:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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病気すら愉しむ気概が欲しい

 皆さん健康に留意しておりますでしょうか?実は最近、健康であることが、どれほど自由を謳歌出来るものなのか、ということを考えるきっかけというか出来事がありました。それはまあ、病気というか、花粉症というか、ただのアレルギーなのですが…。

 毎年春から夏にかけ、シラカバやイネ系の花粉症に悩まされておりまして、生活に支障が出るほど、症状の悪化に悩まされる時期でもあります。今年はいつも以上に症状がひどく、実は今も苦しい真っ最中であります・・・。

 と言いますのも、新たなアレルギー症状である「アレルギー性ぜんそく」を発症してしまい、就寝時に息苦しくて寝れなかったり、肺が炎症を起こして胸が痛んだりと、相当苦しい思いをしたため、余計に花粉との付き合い方ということに想いを巡らせました。

 しかし、去年くらいから「達観」したというか、あえて花粉に抗うようなことをせずに、季節の風物詩のような感覚で、花粉症を楽しんでやろうという気持ちが芽生え、どちらかというと楽しみながら過ごすように心がけています。

 もうどうやっても改善しないものはしないので、花粉に関わらないような場所に引っ越したり、外に一切出ないような仕事につくわけにもいかないため、これはもう、花粉は自らのパートナーであるという感覚で、日々を過ごしてやろうと考えていました。

 「転んでもただでは起きない」という言葉には「したたかさ」などと、あまり良い印象を受けない意味が含まれている気もしますが、これを良い意味づけで解釈するようにしています。つまり、花粉症によって生ずる不都合を、自分の都合がいいように変換してやろうという思惑です。花粉で転ばされても「エーンエーン」と泣くのではなく、「花粉に転ばされた。ラッキー!!」という感じです(笑)

 具体的には下記のようになります。

■アレルギー性ぜんそくを発症

不都合→息をするのが苦しいので、運動が出来なくなり、肥満が進み、体調の維持が難しくなる

都合よく変換→有酸素運動をすると苦しいため、筋力を鍛える(維持する)ことに特化し、ダンベルなどで腕力を強化。また、簡易なストレッチで身体の硬さを改善する。

・結果→腕力が上がった気がする、体が少しだけ柔らかくなった、ラッキー!!

■花粉症の諸症状

不都合→痒みにより目を使う作業がしにくくなる、鼻水が止まらず集中力が削がれる。PCや本が見づらく、集中力もないので、仕事や自宅での作業に支障が出る

都合よく変換→職場で花粉症のことを説明し、書類作成などのデスクワークを代わってもらい、別な作業にリソースを集中する。目が辛いので耳からの情報としてオーディオブックを活用、鼻水で集中力が下がるので、あえて目をつぶり瞑想の時間を設けるようにした。

・結果→営業的な仕事が増えた、オーディオブックにより忘れていた自己啓発の手法を思い出せた、瞑想の入り方が少しだけ上手になった(気がする・・・)、ラッキー!!

 このように、不都合が生じたから、それに逆らうのではなく、自分の都合のいいように帳尻合わせてやろうという、「したたか」な考え方です。こうすれば、「また花粉の時期か…嫌だな…」なんて想いを抱かず、「おっ、花粉の時期ってことはストレッチの季節だな(笑)」とか「「そろそろ瞑想をする時期か~」という具合に、嫌な感情を抱かずに、気持ちを前向きなままスライドさせようと目論んでいます。

 今のところ、花粉に対する恨みとか怒りの感情は湧くことはなく、楽しみながら苦しい時期を過ごしているとは思います。

 そうやって花粉を楽しみながら過ごす過程で、一番やってはいけないことは…、すべての歩を止めることであり、花粉症を嘆いて後ろ向きな感情に囚われることです。

 症状が辛いのは確かですが、ずーっと寝てばかりいたり、外に出るのが嫌だからボーッとテレビを見続けることなどは、今の自分にとっては愚かな行為です。過去の己の姿を思い浮かべ、自分にツバをはきかけてやりたくなりますね(苦笑)

 そもそもこういう考えを持てるようになったのも、すべては良き本を読んできた結果であり、自分を少しづつ変える努力をしてきたからだと、少しだけ過去の自分を誇らしく思います。

 ボーッとしていても何も変わりません。文句を言ったり嘆いていても何も変わりません。

 必要なことは、変わりたいと強く願うことであり、自分は変わるのだと決めることです。そして、変わるために前向きな行動と努力を続けることです。

 こんな簡単なことに気づくのに、私は何十年無駄にしたことか…なんとも言えない気分になりますが、もう昔のダメダメな自分には戻りたくないので、前を向いて進むだけです。花粉症が辛いからと、何もせずジッとするのは去年までで終わり。

 今回、改めて良書の素晴らしさに気づくとともに、意味づけの変換だけでなく、さらに自分に良き影響を与える考え方をインストールし続けていきたいと、また本を読み漁りたくなりました。願わくば、自分の息子達に、自分が身に付けた考え方を、上手に伝えていければ最高なのですが(難しいですけど…)。
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| 自己啓発 | 21:43 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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やる気を一瞬にして奪う言葉

 今回は、夢や希望を持つ人を、一瞬にして奈落の底へ堕としてしまうような言葉を発するのを止めよう、というテーマで書いていきます。おそらくそういうやる気を奪うようなひどい言葉「やる奪言葉(やるうばことば)※1」を発する人は、悪気はないのでしょうが、少なくとも将来の芽を摘むことも考えられるので、私の体験を交えて書いてまいります。よろしければお付き合いください。
※1=私の造語です…

 もう20年以上も前の話しで恐縮ですけど、私は中学校~大学時代の間、将来は音楽関連(楽曲製作)の現場で働こうと考えておりました。当時はバンドブームやら何やらで、毎日が音楽で溢れていた時期でもあります。私も中学1年生からピアノを習い始めたりして、結構本気で、大人になったら音楽で飯を食う、なんてことを夢見ていた、青い時期であったのが懐かしい思い出です。

 そもそも何故音楽の道を志したかというと、理由は実に単純でして、音楽が好きだったから、自分の手で楽曲を作ることに楽しさを感じていたから、というものでした。ありがちな理由ですね…。

 当時私は、ポップスからジャズ、演歌からクラシックまで、多くの音楽に興味を示し、ジャンルの枠を取っ払って、自分の中に「音楽の貯蓄」を施していました。「楽曲を作る時、どれだけ多くの音楽を聞いてきたかが重要だ!」と尊敬する恩師に助言されていたこともあり、忠実に、さまざまな音楽を、分け隔てることなく、聞きまくっていた学生時代でした。

 当時、音楽スタジオに赴き、実際に自分の曲を聞いてもらったりとか、楽器屋とか音楽イベントの現場など、多方面から積極的にアプローチをしておりましたが、大学3年の時に、ふと放たれた言葉がまさに転機となってしまいました。その言葉とは…

もう音楽界で新しい音楽なんて出てくるわけがない。だってコード進行はもう全て出尽くしたんだから。そもそもビートルズで全てが終わっている…。無駄なことはしない方がいい。

 この言葉は、当時尊敬する音楽スタジオの経営者さんに言われた一言で、何気ない会話の中だったのですが、もの凄くショックを受けたのを今でもはっきり覚えています。ちょうどその頃、楽曲製作において、コード理論関連で行き詰まり、深く悩んでいたこともあり、もう新しい音楽を作ることはできないのかと、一瞬で情熱が冷めていくのがわかりました。それこそ音楽なんて楽しくないかも…くらいの落ち方でした(苦笑)当時は本当に真面目だったのでしょうね…。いや、そもそも私の考え方や心構えが甘かったのです。お恥ずかしい限りです。

 今思えば、そんな他愛も無い戯言を真剣にとらえ、夢も希望も無くしてしまったのですから、その程度の自分が音楽の道に進まなくて正解だったと、本気で思っています。ただでさえ打たれ弱い性格なのに、プロの現場で通用するとは到底思えません(笑)だから今は凄く感謝しています。もしプロの道に進んでいたら、おそらく今よりもずっとダメ人間になっていたでしょう。

 ただ、今振り返れば、「いい経験になったね」と美談のように扱えますが、当時の若かりし私にしてみれば、尊敬する方に、よもやそんなことを言われるとは思いもよらず、しばらく腑抜けた状態になったのは確かです。きっと、他の人に言われても心に響かなかったと思います。ちょうど悪いタイミングで、尊敬する方にズバッと言われたからこそ、あそこまでやる気が失せてしまったのだと、そう分析しています。

 私自身を批判したり、私の音楽性を咎められたのであれば、修正していけば前に進めるのですけど、根本的なところで「音楽はもう死んだ」的なことを言われ、夢も希望もついえてしまったのでしょうね。

 金が取れる鉱脈で、これから一山当ててやろう!と野心剥き出しで現地に向かったはいいけど、ここはとっくに金は掘り尽くした、などと権威のある方に言われたとしたら、その場所で掘ろう!という気にはならないと思います。

私にとってはまさに「やる奪言葉(やるうばことば)」に他なりませんでした。

 自分でも甘っちょろかったな~とか、あの時もう一度踏ん張っていればとか、悔やむ気持ちもあり、どうしてあの言葉を受け流すことができなかったのか、そうすれば違った人生を歩んでいたかもしれないと思うと、つい自分を責めたくなります。

 ささいな一言であっても、夢も希望もついえてしまう、そんな言葉が世の中にあるのだと、身をもって理解できたことが収穫といえば収穫です。ですが、出来る事ならあの時、あの場で、聞きたくなかったなと、多少相手を責める気持ちがあるのも偽らざる本音です。

 まあ今更何を言っても遅いのですけど、自分もいい年齢に差し掛かり、若い人達に同じことをしていないか?と問われると、途端に不安になったりします…。さらには、自分の息子に対しても、やる気を奪うようなひどい言葉を投げかけていないかどうか、とても心配になってしまいます。

 私も一人の人間なので、イライラする時や怒ってしまう時もありますけど、そんな時に相手のやる気を奪うような、ひどい言葉を投げかけてしまったことが、一度や二度ならず、あったような無かったような・・・。

 言葉は人が想像するよりも「重み」を持つ時があります。それこそ、一人の人生を大きく変えてしまうような「言葉」だってありますし、かけられた「言葉」により生まれ変わることだってあるのです。どうせ言葉を発するのならば、良い影響を与えるような、前向きな言葉を常に発していたいものですね。

 人に良い影響を与えるような言葉は、突然発することはできませんので、普段から自分の言葉に気をつけ、少しでも私の周りにいる人が前向きになれるような、勇気を振り絞れるような、そんなプラスの言葉を目指していきたいものです。

 最後に、当時私がショックを受けた言葉を前向きに打ち消して終わりたいと思います。

新しい音楽は今後もたくさん出てくる。コード進行なんて一つの型でしかない。魂に響く歌詞、心の奥底に浸透するリズムとビート、そして清濁併せ呑むようなメロディとフレーズは、この先いくらでも生まれるだろう。新旧の音が複雑に絡み合いながら、これからも多くの人達を楽しませていくのだ。音楽は死なず。
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| 自己啓発 | 22:30 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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