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深遠長大なる心の世界---「九識論」

今回は、仏教の唯識学派が教える「九識論」というものを軽く受け流す程度で紹介しつつ、心の世界について触れていきたいと思いますので、よろしければお付き合いください。

私は以前より「心」の世界というものに興味津々でして、学生時代から心理ゲームなどの本を読んだり、そういったTV番組を見るのが好きでした。その後2005年くらいから少しずつ心理学とか、そういった真面目な書籍を読み漁るようになり今に至ります。

しかし学生時代を含め、心理学系の講義などを受講したことはなく、そういった学習を体系立てて学んだと言えばメンタルヘルス・マネジメント検定三種の資格取得勉強をした時だけです。

僭越ながらメンヘル検定三種合格しました
by 気になるけど

そのため、私などが深遠なる「心」の世界について触れるのは場違いなような気がしており、突っ込み入れられても答えることが出来ないので、あくまでも仏教の「九識論」というものを紹介する程度に留め、そこに私の意見をのせて書いていきたいと思います。

では「九識論」ってなんじゃらほい?というところから始めますが、「九識論」は人間の「心」を5つのレベルに分類した考え方で、

第五識:眼識・耳識・鼻識・舌識・身識など人間の五官の働き
第六識:意識、第六感、知性・理性が形成する意識
第七識:未那識(マナ識)無意識・思考では調整出来ない奥底の心の働き
第八識:阿騾頼耶識(アラヤ識)生死を超えた三世に渡る業で形成された識
第九識:阿摩羅識(根本常識)九識心王真如の都、宇宙の生命体


という具合に分類されます。

ちなみに九識論については下記ブログやHPに詳しくかかれており、私の拙い説明を出すまでもないので、参考までにどうぞ。

九識論(1)
九識論(2)
九識論(3)
九識論(4)
九識論(番外編)
by 如蓮華在水
※白金魚さんのブログです

第五識は知覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚と書けば分かる通り、人間の持つ5感を表しておりますので分かりやすいですよね。第六識も、人間が認識できる心の世界のことなので、単純に「意識」という言葉に置き換えてもいいでしょう。

そして第七識以降を私の言葉で述べていくと、第七識は無意識の世界、第八識は輪廻転生の世界と続き、第九識で仏の世界(神の世界)と広がっていきます。
※私の超訳が混じっていますので、実際のところは上記とはニュアンスが違うかもしれません・・・あしからず

第八識や第九識までいってしまうと、宗教の世界にどっぷり浸かり始めてきますが、私がもっとも興味あるのは第七識=無意識の世界でして、ここの部分について少し詳しく書いていきます。

かの心理学の大家、ユング博士が発見した集合的無意識というものも、この第七識について語ったものと考えられますが、人が意識することが出来ない心の奥底と考えていただければいいと思います。または「潜在意識」なんて言葉にしても分かりやすいかもしれませんね。

人を支配しているのは表面上に現れない「無意識」や「潜在意識」である、ということは心理学をかいつまんだことがある方なら分かると思いますけど、人は自分の意識に反し、逆の行動を取ってしまったり、なんであんな事言ってしまったんだろうと、思ってもみない言動や行動を繰り返してしまう生き物です。

私も多分に漏れず、

「なんであんなことしてしまったんだろう・・・」
「なんであんなこと言ってしまったのだろう・・・」
「なんであの時こうしなかったんだろう・・・」

などと後悔してしまう人生を繰り返しておりまして、そんな自分がつくづく嫌になって「心」を学ぼうと思ったのが、心理学系の書籍を読むきっかけです。

そして本から得る知識を増大させていけばいくほど、その難しさと深さに打ちのめされております。理屈はなんとなくわかるけども、本質が掴めないのですよね。

そもそも無意識をつかさどるのは、所詮自分の心の中であるとも言えるので、自分でコントロールするのは難しくても、無意識だったものを認識することは、完全には無理ですが可能ではあります。

この辺のところは書くと長~くなってしまうため省きますが、下記URLの一部分に上手に書かれていると思いますので抜粋します。

『九識論』にみる大いなる「希望」の生命哲学。

人間は、目覚めて活動している時だけしか、ものごとを感じ考えてるのではなく、睡眠をとっている時も、思いを巡らしていることがわかっています。(無意識の心のはたらき)

マナ識は、高度な精神活動でもあるのですが、問題になるのは、そこにある、自分にしがみつく「我執」です。これはやっかいなことに、意識でコントロールできるものではないのです。

マナ識を細かく分けると、「我癡(がち)」「我見」「我慢」「我愛」の四つの煩悩があります。 いずれも自分への強いこだわりが原因になっています。
この我執によって、悪いとはわかっていても、「どうしても自分を曲げられない」ということが起こってきます。

しかも・・・このこだわりが自身を縛りつけて、本来の自分よりも狭くて小さい範囲に、自分を閉じ込めてしまうのです。


そう、人は自分の内なる煩悩に支配されて生きているため、それまで培ってきた経験や時々の感情、環境や付き合う人達などに大きく影響され合っています。

だからこそ「人は皆違ってて皆いい」とも言えますけど、大事なのは、人にはそういう煩悩があり、無意識や潜在意識というものに突き動かされているという事に気付くことです。

これに気付くことによって、「あー自分の中にはこういうものが存在するのだ」と第3者的冷静な考えを持ちやすくなり、他人に対し優しく成りうると思いますし、パートナーを信頼しやすくなったり、「慈悲」の心を持ちやすくなるのではないでしょうか。

そんないい事ずくめにも思える九識論ですけど、基になる「仏教」の考えとか教えとか思想について、とても素晴らしいものだと考えますし、世界の宗教の中でもかなり優れたものだとも思います。が、あまり深くまで追求するとおかしな方向に走り始めてしまうとも思っています。

「九識論」についても素晴らしい論考だと思うと同時に、第八識を越えた辺りからどんどん仏の世界というかスピリチュアルな世界にいってしまうので、多少霊感体質の私は自制しながら「心」の世界を探求しております。なんというか、一線を越えてしまうと帰ってこれないような感覚があるのですよね・・・。

「うろじより むろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

これは「一休さん」で有名な一休宗純の残した言葉(歌)ですが、「うろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「むろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指し、人は煩悩の世界から仏の世界へ進む一時の時間を過ごしていることを表現し、ジタバタしても仕方がないよ~、という意味だと解釈していますが、人の一生なんてあっという間ですし、真理の世界に到達することなんて到底かないません。元々煩悩の世界で生きる私は、まだまだ無漏路の世界に行く気はありませんし。

仏の世界に進む前に、まだまだやるべき事があるだろうと、あれこれ悩み迷いつつ、人の役に立つことをしていきなさい、一休さんの言葉はそんな風にも感じます。

一休宗純
by wikipedia

私は高尚なお坊さんではないので、せめて第七識くらいは自分でコントロール出来るような人間になれたらいいなと思っており、これからも「心」という世界について学び続けていきたいです。

まあ、偉そうなことをダラダラと述べましたが、自宅で愛読しているマンガ「ワンピース」を1歳9カ月の息子にビリビリに破かれ、本気でブチ切れている程度の人間なので、あまり説得力はありませんがっ!

もっと心の修行が必要ですね…。
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